親父

東京アラートが解除決定となったものの、そもそも何がアラートでアラートの意味があったのかよくわからないまま、ステップ3へと進む東京。コロナも終息がみえないなか、我が家の給湯器エコキュート(コロナ社製)が風前の灯状態となり、業者さんに修理依頼をすると、交換を勧められた。これもコロナ被害…コロナによる給付金でコロナの新しいエコキュートを買い替えます…トホホ。

暇潰し投稿第8弾です。暇な人だけ読んでください。

 

2017年9月14日朝出勤途中に、母親から電話が来た。朝早く珍しいと思いながら電話に出ると、親父が癌に侵されている旨を伝えられた。どこの癌なのか尋ねると、膵臓でステージ4との返答であった。即座に死を覚悟したことを鮮明に記憶している。翌日は土曜日であり、仕事も半日なので、午後に実家に帰る旨を伝えて電話を切った。

不思議と動揺等なく落ち着いた気持ちで実家に向けて車を運転していた。実家に入ると、姉貴は号泣していた。僕は部屋に入るなり、ポンと親父の肩をたたき

「しょうがねー、遅いか早いかだ!」

と話すと、姉貴は完全崩壊大号泣となった。親父、母親、僕は極めて冷静だったが、姉貴はどうにも止まらない。親父は冷静に「そうだな!」と一言返した。僕は大号泣の姉貴の横に座り、思いを話し始めた。内容としては、僕ら姉弟は親孝行をしてきた自負はある。親父が亡くなったあとは、残された母親の精神的なフォローは姉貴(実家の近くに住んでいるので)、経済的なフォローは長男として僕が責任を持つ。それ以外に何か望むことはあるか?と尋ねると、静かに「無い。それだけで十分だ!」と答えた。次の瞬間「よし、明日墓を見に行こう!」と僕が言うと、姉貴は半狂乱となった。まあ当たり前だが。ここからの話はまた後日アップしようかと思うが、タイトルの親父とはなんなのか?

なんか…ふと、もう声が聞けないんだな…と思うことが最近増えた気がする。ぶつかってばかりだったけど、尊敬できる親父であった。

なんだろうね…あと1分話せる時間があったら何を話すのかな…仕事の事?孫の事?たわいもない事?

最近お酒が苦手になってきたのだが、一回だけでいいから呑みたいね。でも、いつも通り先に寝てしまうのかな?

まだ、当分そちらの世界に行くことはないだろうから、じーさん、ばーさんと酒でも呑んでゆっくりしていてね。

親父の背中は超えていないが、腹は超えた(肥えた?)息子より愛を込めて。

では!

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